新鋭忍法浪漫活劇『地獄楽』と古豪の一大大河ダークファンタジー『ベルセルク』がついに相見える!!!

『地獄楽』の5巻発売を記念し、まさに“地獄”の和洋折衷がここに実現!
賀来ゆうじ先生が自身の原体験だと語る、三浦建太郎先生への憧れと愛がもたらしたこの企画。
過酷な世界を生き抜くそれぞれの主人公の共演イラストとともに、
幻想世界の語り部の対談をご堪能ください!

作品紹介
地獄楽
ベルセルク

<地獄楽>と<ベルセルク>の始まり

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三浦:先生おいくつなんですか?

賀来:今33…歳ですよね?(※担当編集のS氏を見やる。後日、先生のご年齢は34歳と判明。)

三浦:話にうかがったところ、昔編集者をやられてたんですよね。

賀来:はい、やっていました。期間は短いんですが…。

三浦:「漫画家になりたかったけど先に編集を」って感じだったんですか?

賀来:そうですね…。漫画が大好きだったので、本当に子供が持つ夢のようなイメージで、少し漫画を描いてはいました。でも大学とか学校に通っていくうちに、自分が漫画家になれるようには思えなくて。でも漫画に携わりたかったから、編集者がいいかなと思いまして…。

三浦:そうだったんですか。かなり画力が高いですよね。美術学校には行かれてたんですか?

賀来:いやいやとんでもないです!いえ、全くそういった場所には通っていなくて。

三浦:へえー。部活とかも美術とは全然関係ないものですか?

賀来:はい…あ、でも強いて言うなら、大学時代に入っていたサークルが人形劇サークルでした。

三浦:あらま。

賀来:そこで人形のキャラクターのデザインとかをする機会がありました。

三浦:そっかー。じゃあ画力は完全に才能ですね。

賀来:いえいえ…!僕は三浦先生の画力を構成する要素といいますか、どういった絵の勉強をされていたのかに凄く興味があります。

三浦:ガキんちょの頃から絵を描いていたんですよ。母親がお絵かき教室をやっていて。物心ついたときから後ろの席で落書きとかしていました。

賀来:そうなんですか!

三浦:うちの親は武蔵野美術大学に通っていたんです。父親がコマーシャルの絵コンテを描く仕事をやっていたりもして、絵を描く環境がガキんちょの頃から整っていたんですね。それで多分、絵が少し得意分野に…。他の成績は3とかでダメでしたけど、図工だけが4とか5とか(笑)。他に選択肢がないので、迷わずそっちに行きましたね。

賀来:僕、三浦先生の絵が凄く大好きで。いっぱいある好きな要素の中でも、たとえばアクションシーンなんかは迫力もあるし見やすいしで、凄いなと思っていて。どうしてもどっちかに寄っちゃいがちだと思うんですけど、お父様がCMの絵コンテを描かれているということから、動きを伝える描き方というのが絵風景としてあったのかなって。“シーンを切り取ったように見せるのがカッコイイ”とか…。

三浦:自分では意識していなかったんですが、小学校の頃から大学卒業まで、親父がやっていたボードで作ってプレゼンするようなのを見せてもらっていたんですね。今思い返すと、それがかなり漫画に近いですね。

賀来:コマ割りに近い形だったんですか?

三浦:かなり近かったですね。映画に近いけどコマの割り方は漫画っぽかったから…考えてみたら、ちょっと影響受けていますね。

賀来:『ベルセルク』を読んでいると、動画を切り取ったような絵がたくさんあるように思っていまして。そしてそれがちゃんと状況説明になっていて、かつ絵映えしていて。僕は憧れを持っているんですね。ただそれだけじゃないところが凄くて、物凄く絵画的な表現にガッと振るときもあるじゃないですか。たとえばガッツの心象風景だったりだとか、大好きなんですけど。両立しているのが凄いなって。

三浦:漫画家を長くやってるおかげなのかもしれないですけど、バラバラに身に付けたり好きだったりした色々が、脳の中でネットワーク化して繋がってくるんですよね。いろんな技が複合的に出せるようになってくるものなんです。「カッコイイ絵を描きたい」とか「映える絵を描きたい」という気持ちと、「お話のストーリー上で心象として描きたい」とかいろんな要素がある中で、「ここはこれがいいんじゃないのか」とか「こっちはこれがいいんじゃないか」っていうのが、自然とスイスイスイッと出せるようになってきますね。

賀来:それは割と感覚的な部分だったりするんですか?

三浦:最初は作為的に一生懸命気にして考えてやっていくんですけど、そうやっていくつか見つけたルートの技がだんだん合体していく感じですね。

賀来:土台になっていくような感じなんですね。

三浦:はい。でもこれは多分月刊とか、隔週とかでゆっくりやれているからこその考え方な気もします。週刊誌とかって、デビューするときに物凄く選択肢を狭めないと勢いに乗っていけないじゃないですか。

賀来:そうですね。

三浦:捨てるところがたくさんないと、一芸を見せて読者にわかりやすく「この人はこういうのを売る人なんだ」と伝えることはできないと思いますし、そのうえで読者にわかってもらった状態でバーッと駆け抜けていくことができるかと思うんですけど…僕の場合はゆっくりなので、捨てるというのが怖かったんですよね。使えそうなものは捨てずに取っておいたから、今となってはそういう色んな手札が増えたんだと思います。でも逆に手札が多いせいでインパクトがなくなってダメになる話もあるんですよ。そうならないために、あっちこっちで言っているから聞いたことあるかもしれないですけど…(笑)、自分がたとえばアクションで一番気を付けることって、“できそうなウソ”なんですよね。

賀来:おおー、なるほど!

三浦:最近の例でわかりやすく言うと、『キャプテン・アメリカ』ですね。見ていると、オリンピック選手に毛の生えたぐらいの能力じゃないですか。あのくらいの感覚って、人間が共感できる範疇なんですよね。実際はできませんけど(笑)。自分が子供の頃に砂場で怪獣ごっことか、『仮面ライダー』ごっことかの「ごっこ遊び」をやっていた世代なので、実際に体を動かして何かをやるといった延長線上になるように考えているんです。子供がヒーローに「なりきりたい」と思う気持ちって時代が変わっても残るものだと思うんですよ。これは普遍的に変わらないんだろうなと最近思うんです。だからそういう「自分がやれそうだな」とか「このくらいだったら筋肉をつければ持てるかもな」くらいのところで組み立てています。

賀来:今お話を聞いて凄く腑に落ちたというか。アクション以外もなんですが、僕も自分が描くにあたって、フィクションの中にリアルな要素をほんのちょこっと入れるようにしていまして。少しあるだけでそこがグッと目立って、“気持ち良さ”に繋がると思っていて。

三浦:自分って剣の達人でもなんでもないし、剣道も詳しいわけじゃないんです。だけど剣戟ものを描いているわけで。専門家じゃないですから、知識を掘り下げる方向で漫画を描いちゃうとボロが出ますし、もっと凄い人がいっぱいいますので、それじゃ戦えないと思ったんですね。そこで気を付けたのが、「剣の攻防を描くような漫画にしちゃダメだ」ということなんです。なので、異質なところに剣を…。

賀来:おー!はいはいはい。

三浦:“怪物の中にでっかい剣”という意味と、“剣士がいっぱいいる中で凄く強い剣士がいる”っていう意味とでは、全然意味が違うので。

賀来:画眉丸の場合は佐切という、刀を使うキャラクターと共に考えました。刀で殺せるやつが一人いたら、もう一人は手で殺せるやつにしよう、という風に思っていたんです。画眉丸は一応忍者なんですけど、あんまりないとか手裏剣を使わないようにしてちゃんと手で殺す、ということを意識しています。その自分の業に対して彼がどう距離をとっていくのか、というのが連載当初の一つの型というかイメージでした。

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