藤本:もういっぱい聞きたいことがあって…。できれば今回のインタビューを記事に載せたくなくて。
――えー!
担当:「独占したい」って言っていました(笑)。
藤本:絵が上手くなる方法が拡散されてしまうわけじゃないですか。
一同:(笑)。
藤本:僕、沙村先生みたいな絵が描きたくて。ということは、つまり沙村先生がお好きな作家を目指せばいいのかなと考えて。僕が沙村先生になるには何を目指したらいいですか?
沙村:(笑)。好きな作家は沢山いますが、中学校ぐらいまでは手塚治虫先生と高橋留美子先生と藤子不二雄先生ですね。高校の時に大友克洋先生の『AKIRA』を読んで、「すげえ人がいるな」と思って。あと安彦良和先生ですね。お二人ともめちゃくちゃ絵が上手くて。安彦先生が描かれる手が綺麗だったので、その頃から人間の手を綺麗に描くということをやりだしました。休み時間に自分の手をノートに描きまくっていた、気持ち悪い高校生だったんですけど(笑)。
藤本:これから僕もそうします。
沙村:(笑)。大学に入った時に、星野之宣先生の『2001夜物語』という、宇宙をテーマにした連作集を読んで。すっげえ上手くてめっちゃ細かいんです。こんなの週刊でやるとか絶対無理ですからね(笑)。あと、俺は美大に入り漫画研究会に所属していたんですが、美大の漫研って良くも悪くも意識高い人が結構いて。週刊誌の漫画じゃなくて「ガロ」を読むとか。そこでマイナー系の作家さんの作品を見て、面白い人たちが沢山いることを知りました。卒業して『無限の住人』が連載開始した時に、一ノ関圭先生の単行本を買ったんです。誰かに教わったわけでもなく、紹介でもなく、本屋で適当に買ったんですよ。「こんな写実的に漫画を描く女性の作家さんがいるんだ」と衝撃を受けました。もし連載前にこれを読んでいたら、恥ずかしくて『無限の住人』のネームをきれていなかったと思います。
藤本:“連載前にこれを読んでいたら”って、ありますよね。僕も『ファイアパンチ』の1話目を描いている時に『波よ聞いてくれ』の第1巻を読みました。
沙村:俺より絵が上手い作家さん沢山いますから。上手い作家さんの作品の筆致とかクセとか、好きな人の絵を見て描いていたら、なんとなく同じ絵になっていくんですよ。
藤本:いや…そんなことはないと…。絵が上手くなる秘密があったら教えてほしいです。
沙村:俺が思う“絵の上手さ”というのは、例えば高野文子先生ですね。俺が日本で一番絵が上手いと思っている漫画家さんです。空間表現がすごいんですよ。割と男性作家は正確にパースをとると思うんですね。でも高野先生の漫画を見ると、背景の集中点をとろうとすると絶対ずれるんです。だけど空間を感じられるんですね。要するに、パースを正確にとることがイコール空間表現ではないということなんです。気持ちいいずらし方みたいなのがあるんですよ。
俺も水平線を描く時に、例えば海を描くとしたら、そこに埠頭があるとして、法則で言ったら埠頭のパースの先に水平線があるわけなんですけど、俺はわざとそれよりも水平線を上に上げて描くんです。そうした方が海が広く見えるんですよ、なんか知らないけど。そういうことを無意識的に全部できているのが、高野先生の絵なのかなと思います。
あと、高野先生の作品には人間の生活臭みたいなのがすごく出ているんですよね。「あ!こういうポーズとるわ」って思うんですよ。「ただいまー」って帰ってきて、コタツの上のみかんを取りながらチラシを見たり、好きな本を適当に床において見てる時のポーズとか。そういう人間の挙動を描くのが上手いんですね。高野先生の絵って、線が物凄く少ないんです。デッサンとかそういうことでは語れない上手さがあります。観察力が鋭い女性は本当に鋭いなと。
藤本:観察力って、女性の方が鋭いですよね。
沙村:ドメスティックな場面を記憶するのが強いのかもしれないですね。男の考える絵の上手さっていうのは、デッサン力だったりアクションの構図だったり、アカデミックな上手さのことを追求しちゃう。それはそれで難しいことなんですけど。まあ、そんなことを俺が考えているからといって自分ができているかは別で(笑)。
藤本:いえ、沙村先生はできていらっしゃると思います。それを聞いて思い出したんですが、最近『この世界の片隅に』が流行っているじゃないですか。こうの史代先生の描く女の子がすごくエロいなって思ったんです。特に足がエロく感じて。なんでかなと思ったら、足で演技しているからなんですね。等身が低くてホビットみたいなんですが、実在感がすごくあるしリアリティも高いんです。それは演技をしているからだったんです。それで僕、バナナマンさんのコントを見てる時にも思ったんですが、コントの短い時間の中で、そのキャラクターたちが本当に生きてるなって思ったことがあって。それはキャラクターによって鼻を触ったり、足踏みをしたりするキャラクターがいて。仕草でキャラクターの奥行きができたんですね。そういうのを描ける人って絵が上手いなって、観察眼があるなって思います。
沙村:何人かキャラクターがいて、その一人一人に特徴とか描き分けたい時に、口調とか語尾でつける時ありますよね。それはそれで良さがあるんですけど、人間の特徴ってそういうことじゃないじゃないですか。「こいつはこういうこと言いがち」とか、仕草だったり、同じ質問を投げられた時の返事の傾向だったりとか。そういうところが大事だなと思います。自分もやんなきゃなと思いつつ、できているかどうか全然分からないんですが。理想としつつも、現実は「時間があったらぜひやりたい」と思いながら日々追われて、「やっと終わったぜ」の繰り返し(笑)。
藤本:もう全く同じです。モブとかも演技させたいんですが棒立ちにしちゃうんです。時間が無くて…。
沙村:それはもう、アシスタントさんになんとかしてもらうしかないんじゃないですか。例えば俺のやり方ですが、「モブとか群衆も自分が描きたい」ってなると、アシスタントさんに「ここに群集を自分の絵でいいから、自然なポーズで色々ポージングを崩して描いておいて」って頼んで、アシスタントさんが鉛筆で描いた下描きを俺がペン入れするんです。下描きから自分でやると時間がかかるしフリーハンドで描くのも勇気がいるから、アタリだけでもいいからやってもらうんです。それを自分の絵に直してペンを入れていくのは、意外にできますよ。群集シーンで一人一人にバラつきをだそうと思ったら、そういう方法をとるのがいいんじゃないかなと。
藤本:自分で一か所でもペン入れすれば、ぱきって締まりますよね。すげえいいこと聞きました。
あと沙村先生の背景って、トレースかどうか本当に気づけなくて。「こうすればトレースっぽくならない」とかありますか?ただ単に構図の問題なんでしょうか。
沙村:ベタをどう入れるかというのもありますが、線だけ見ててもトレースの背景だって分かっちゃうものは分かっちゃうんですけどね。自分でも、想像で描いているところと写真見て描いているところと説得力が違いますから(笑)。ベタをどう入れるかって話と、トーンを、“ここに色がついているからト-ンを貼る”とかじゃなくて、どこかに1つ大胆に貼って、それで画面が持てばもうほかのところに貼らなくていいと思うんですよね。写真とは違う割り切り方ですね。画面の中で「ここは黒いほうがかっこいいから黒くするんだ」って。いいか悪いかはわからないんですけど、例えばある一か所に光源がある状態で人間が会話していたら、影のでき方は固定されるはずですよね。でもコマによって光源からできる影に矛盾が生じたとしても、画面としてそこに黒があったほうが絶対かっこいいじゃんって思って塗るんです。
藤本:やっぱりそういうふうに考えているんですね。読者は気にしませんもんね。
沙村:気にする人もいるけど、気にするならそれはそれでって。画面をかっこよくするために嘘をつくという。漫画なんだし、画面がかっこよければそれでいいじゃんと。でもそういう主義でない方もいると思いますので、これがいいとは言いませんけど(笑)。
藤本:僕もそうします。
藤本先生と沙村先生で話し合い構図を決め、沙村先生が描いた今回のコラボイラストのラフ。ちなみにヒロイン編では藤本先生がラフをきっている。
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